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和歌山県広川町のテニスコートの情報が登録されていません。

風力発電 和歌山県御坊市内の少し北に火力発電所がある。 その北隣の埠頭に『ふらぁっ〜』と立ち寄ると、 飛行機の翼よりデカい。 羽根の様なプロペラの様なものが多数置いてあった。 何なんやろ〜 考えても考えても 結局、分からず仕舞。 頭の中''' 『??』 '''で、いっぱいだ。 しばらく、国道42号線を北上すると、この疑問を解決するものに出会った。 これだ 風力発電と思われる施設が山の尾根に多数設置されていた。 とにかく、どれくらいの大きさか?近くでみたい。 場所は和歌山県広川町。 とにかく、風力発電の羽根だけをめざして走るも、中々たどり着けない。 ん〜 ん〜 が……探す事。1時間弱。 やっとの事で〜足元にたどり着いた。 『デカっ』 タワーの高さは64.7mらしい。。。。 ちなみに、この日の風速1〜2メートルで、 発電電力は、なぁんと ゼロ らしい。
敵の襲来! ドライブの途中です ここは和歌山県から大阪府に抜ける国道です あ〜〜〜!前方注意! 敵の襲来だ〜 って・・・ これは風力発電用の風車です 高さ64.7m、羽根部分が直径70.5mもあるんですって エコに貢献していますね〜 二酸化炭素を出さない発電 燃料は風ですもんね! 気になる方は広川町のホームページをご覧下さいね! 和歌山県広川町役場のホームページです http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/06.html
2008年海南〜広川旅行18(広川町 その他) 2008年3月15日 今、和歌山県広川町にいます。耐久中学校の中にある耐久舎や濱口梧陵の像の見学が終わったので、歩いて町民体育館の駐車場に戻ります。 再び広村堤防まで戻りました(写真〓)。広村堤防を補修したり、防潮林を補植したりしたときの工事の記念碑が建っていました。 広村堤防は国の史跡に指定されています(写真〓)。 これが広村堤防の天端です(写真〓)。土を突き固め、植林していることが分かります。 現在は、広村堤防の外側に道ができ、さらにその外側にコンクリート製の防潮堤が作られているところがあります。 こういうように普段の行き来のために頑丈なゲートが作られていますが、地震のときは津波が来る前にこれを閉めないといけません。大丈夫でしょうか(写真〓)。 これは先ほど見た防潮堤の絵です。よくよく見ると、どうも刈り取ってまだ稲穂の着いている稲を描いているようです(写真〓)。この方が、教科書の稲むらの火に近いイメージなのでこうしたのでしょう。 1310時駐車場に戻り出発、広村
2008年海南〜広川旅行17(広川町 濱口梧陵記念館) 2008年海南〜広川旅行17(広川町 濱口梧陵記念館) 2008年3月15日 今、和歌山県広川町の稲むらの火の館にいます。今度は、濱口梧陵記念館を見学します。ここは、濱口家の旧宅でしたが、町に寄付されたものです。 町では、記念館として整備し、梧陵の功績とその精神を学び承継していくための施設として公開しています。 広川町の隣にある湯浅町は現在のような醤油の発祥の地として知られています。広川町出身の濱口儀兵衛は銚子に移り住み、1645年に創業しました。 長く濱口儀兵衛商店を名乗っていましたが、1923年にヤマサ醤油になり現在に至っています。 濱口梧陵はヤマサ醤油の7代目社長でした。このころ、代々の社長は濱口儀兵衛を名乗っていました。梧陵は和歌山の分家に生まれましたが、銚子の本家を継いで社長になったのです。 た
2008年海南〜広川旅行17(広川町 濱口梧陵記念館) 2008年3月15日 今、和歌山県広川町の稲むらの火の館にいます。今度は、濱口梧陵記念館を見学します。ここは、濱口家の旧宅でしたが、町に寄付されたものです。 町では、記念館として整備し、梧陵の功績とその精神を学び承継していくための施設として公開しています。 広川町の隣にある湯浅町は現在のような醤油の発祥の地として知られています。広川町出身の濱口儀兵衛は銚子に移り住み、1645年に創業しました。 長く濱口儀兵衛商店を名乗っていましたが、1923年にヤマサ醤油になり現在に至っています。 濱口梧陵はヤマサ醤油の7代目社長でした。このころ、代々の社長は濱口儀兵衛を名乗っていました。梧陵は和歌山の分家に生まれましたが、銚子の本家を継いで社長になったのです。 たまたま和歌山に帰っていたときに津波に遭遇したのが話の始まりというわけです。 さて、これがその濱口梧陵です(写真〓)。 こちらは醤油造りの紹介です(写真〓)。右手に大きな樽があり、「∧」 に「サ」の記号が見えます。ヤマサ醤
2008年海南〜広川旅行16(広川町 稲むらの火の館3) 2008年3月15日 今、和歌山県広川町の稲むらの火の館にいます。引き続き津波防災教育センターを見学することにします。 これは、稲むらの火の話の元になった安政の大津波(1854年12月24日)の様子です(写真〓)。実際に被災して生き残った人が描いたものです。 海の近くの集落を大津波が遅い、高台に続く道を大勢の人が避難しています。道の横の田には火がついた稲むらが並び、避難路を照らしています。実際の様子はこのようだったのでしょう。 これはそのときの津波の顛末を解説したパネルです(写真〓)。史実は、教科書の稲むらの火とは少し違うことが分かります。 教科書の物語の五兵衛は高台に住んでいることになっていますが、実際の濱口梧陵は低地に住んでいて津波の第一波に襲われ、ずぶ濡れになりながら丘に避難します。 一旦、水は沖に引き、やがて夕暮れの中、第二波が押し寄せてくるのが見えました。そこで、稲むらに火を放って人々の避難先を照らし出したというわけです。 火をつけた稲むらは、刈り取ったばかりの稲穂のついた稲の束と
2008年海南〜広川旅行15(広川町 稲むらの火の館2) 2008年3月15日 今、和歌山県広川町の稲むらの火の館にいます。平成19年に開館したもので、濱口梧陵を顕彰する記念館と津波防災教育センターを兼ねた施設です。では中を見学することにしましょう。入館料は500円です。駐車場もあります。 まずは、3D津波映像シアターに行きます。途中には災害時の非常持ち出し品や備蓄品が展示されています(写真〓〓)。長期保存の利く水、ビスケット類、簡易トイレなどです。備蓄品は、救急医療用セットや工具類です。 最低3日分の水と食料を用意して自力で持ちこたえれば、あとは救助隊が来るというといわれますが、ここでは食料は7日分という解説でした。 さて、3Dシアターでは上映が始まりました。まずは、東南アジアで起きた大地震とインド洋で発生した津波の話です(写真〓)。よくあるように特殊な偏光レンズのついたメガネでみます。 これは、東南海地震が発生し、串本町の名所、橋杭岩の沖に津波が押し寄せてきたところです(写真〓)。 串本町は太平洋に突き出ていて、東南海地震が発生した場合は最初
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